2005年2月、東京・平河町の都市センターホテルで全国回復期リハビリテーション病棟連絡協議会の第5回研究大会が2日間開かれ、締めのパネルディスカッションの開始1時間前、会場には予想を上回る当日参加者が来場し、それまで使用中の会場では収容しきれなくなった。
急遽、隣の会場を借り、2部屋をつなげた横長の大会場を設営。プロジェクター2台を置き、左右前面のスクリーンにスライドを映すことになった。だが、PCからデータを2台のプロジェクターに同時に送るには「ディバイダー」という装置を経由させる必要があり、そのディバイダーが備品になかった。
「僕が買ってくる!」というや、石川さんは猛ダッシュで飛び出し、大会場には参加者がどんどん入場、850名超えの大入りとなった。あと10分、まだ戻らない。7分、6分……
そして5分前、石川さんは汗だくで階段を大股で駆け上がり戻ってきた。手にはヨドバシカメラの大きな紙袋が。「日曜で道路は空いているからタクシーでここと新宿を往復すれば、ちょうど5分前に戻ってこられる」と考えを決めるや会場を飛び出しタクシーを拾い、きっかり5分前に戻ってきた石川さんの決断力、行動力に研修委員全員が目を瞠(みは)った。
輝生会の部活でラグビーをしている最中、モール(両チームが密集し立ちながら押し合い、一方がもっているボールを奪い合う力勝負)が崩れ、全員の体重が一方向に集中したその時、「グシャ」という音が。まずい、誰か腕を骨折したとすぐわかったが、それがモールの真ん中に入っていた石川さんだとわかり、みんな青ざめた。
石川さんは、その場で痛いとかそういうことをひと言も発しなかった。すぐ病院を探したが休日でどこも開いていない。やっと見つけた病院に車で連れていった。
診察室前で待っていると、しばらくして石川さんが診察室から「参ったなー」と苦笑いを浮かべて出てきた。
車の中で聞くと、「レントゲン撮影のあと、最初に出てきた先代の先生が徒手整復したんだけど、反対方向に整復しちゃってさ、あとから出てきた若先生が『親父、それは逆だよ』といっている。あん時は痛かったなぁー!」
輝生会本部がまだ初台(東京都渋谷区本町)にあった2010年頃、〆切のスライドを作り終え外に出た時はすでに電車もなく、病院の前でタクシーを拾って帰ることに。
後部座席にからだを沈めてうとうとしかけると車がなぜかスピードを落とし始めた。ん? と目を開けて運転手を見ると様子がおかしい。頭がゆっくりと前に傾いていき両手で握ったハンドルの上に額をつけて眠り込んでしまった。脳梗塞だ!
と直感したが、運転手は気を失い、車はゆっくり前進しながら左右に蛇行し始めた。咄嗟に後部座席から身を乗り出し、運転手の背中に覆いかぶさるようにして何とかハンドルをつかみ、運転手の右足の付け根を持ち上げ、静かにブレーキを踏ませながら車を歩道寄りの車線に誘導して停止させた。
手を思い切り伸ばしドアロックを解除、シートを倒し運転手に楽な姿勢をとらせ、救急車を呼び、車が着くまで心マッサージと人工呼吸の応急処置をして駆けつけた救急隊員に引き継いだ。搬送された運転手は脳梗塞だったが、術後、後遺症も残らず快癒し、数か月後には仕事に復帰。
石川さんには東京消防庁渋谷消防署から「消防総監感謝状」が贈られた。