兵庫県立総合リハビリテーション
センタ―名誉院長
澤村
誠志
最初に石川 誠さんを私に紹介してくれたのは、神戸で10年一緒に仕事をした森本
榮(もりもとさかえ)さんです。電話で彼から「ウチ(近森リハビリテーション病院)の石川院長は土、日に自転車で往診しています」と聞いて翌週高知に飛んでいってお会いしました。1989年頃です。病院では患者さん主体のチーム医療が徹底されており、その先見性と実行力に驚嘆しました。しかし、何よりもいただいた診療報酬のデータとそれに基づくリハ病院の経営分析の精緻さ、的確さに驚きました。厚生省(当時)との信頼関係を築く源となったのもこれらの貴重なデータを石川さんがすべて情報開示したからで、その姿勢が2000年の回復期リハビリテーション病棟創設の契機となったと思います。
事業は人なり。地域リハビリテーションを主題に掲げ1990年にスタートした日本リハビリテーション病院協会(当時)の4年目。役員改選で次期会長に内定した私は「今が改革の好機」と考え、理事会でこのずば抜けた先見性、類まれな能力の持ち主である石川さんともう一人、私と一緒にそれまで21回海外先進国を訪問し地域リハビリテーションをライフワークとしている長崎の浜村明徳(はまむらあきのり)さん(正義感に溢れ、前向きで大勢の仲間がいる親分肌)、このお二人の副会長就任の認可を得ました。その夜、私が引き合わせた石川さんと浜村さんが肩を組み「兄弟船」を歌うのを見て、「このコンビなら成功間違いなし」と目頭が熱くなりました。
その後、石川さんは診療報酬担当副会長として抜群の交渉力で近森時代からの情報開示をベースに厚生省担当官と交流し信頼関係を積み上げ、診療報酬額の改善、回復期リハビリテーション病棟の設置に漕ぎつけました。この行動は余人にできることではありません。ある日、私の耳元で「回復期リハビリテーション病院ではなくリハビリテーション病棟にしたい、当初整備目標は6万床程度としたい」と、自信ありげに報告してくれた石川さんはあくまでも謙虚で、人間的な大きさを感じました。
長い間“リハ砂漠”といわれ、放置され続けた東京。その都心に回復期リハ、生活期リハの拠点を次々と立ち上げ健全経営の軌道に乗せた石川さんの先見力と実践力、行動力にも注目してほしいと思います。大きな仕事を成し、計り知れない大きな人間力をもった石川
誠さん。今もなお、私の心の中心で生きています。
小倉リハビリテーション病院
名誉院長
浜村
明徳
澤村誠志(さわむらせいし)先生に「高知に凄い男がいる」と紹介されました。たちまち意気投合し、お互いの仲間を含めて語りあったものです。そして、石川さんの勧めで長崎から小倉に赴任したのが50歳の時、1998年でした。出会っていなければ、小倉の人生はなかったといえます。
二人でまず、「地域リハビリテーション支援活動マニュアル」の作成に取り組みました。この時、石川さんの仕事ぶりから感じたのは卓越した「突破力」です。課題を絞り込んで整理する力、物事を分析する力、先を見る力は類まれな能力をもっていました。ラグビーで鍛えた体力も凄かったですが、自慢の体が蝕まれたことは痛恨の極みです。
また、われわれは回復期セラピストマネジャーの研修の「リハビリテーション・マインド」の講義とそれに続く受講生「何でも質問」のコーナーをずっと二人で担当していました。2019年11月の講義・質問の時間が二人の最後の仕事となってしまいました。
石川さんが何を思い描いていたか、「考え方の基本」や「若い世代に伝えたかったであろうこと」を、石川さんの研修会資料から言葉を拾い私なりにまとめてみます。
第1は、「障がいのある人々とともに、正義を追求するリハビリテーション」でしょう。「正義」は石川イズムの神髄の一つです。
第2は、「多職種協働のチームアプローチ」の推進です。やはり、チームのあり方を語る際にラグビーの精神を引いておられます。
第3は、「利益に走らないリハビリテーション医療」。
第4は、「時代に求められるものに挑戦するリハビリテーション」。チャレンジこそが石川さんの生きざまでもありました。
個人的には、澤村先生の「これからのリハビリテーションのあり方への方針」と、それに基づく石川さんの行動が回復期リハビリテーション病棟創設につながり、わが国のリハビリテーション医療提供体制の変革に影響する契機をつくったと考えています。結局、石川さんは「障がいのある人々とともにチャレンジせよ!」と、特に若い世代に伝えたかったのではないでしょうか。
長崎リハビリテーション病院
理事長
栗原
正紀
近森リハビリテーション病院で院長を務めていたときのこと。古いビデオに石川さんが在宅のおばあちゃんを往診している姿が映っていました。患者さんの人差し指と自分の指を合わせようとしている場面で、彼の表情は慈しみに溢れる微笑みで、彼自身が幸せそうな、素敵な顔でした。それである時、「東京でもあんな素敵な笑顔されるんですか?」と聞くと、ニヤッと人懐こい優しい顔になり、「そんな笑顔だったかー?」と、どこか懐かしそうでした。おそらく当時の彼にとって東京は壮絶な“戦場”であったのではないでしょうか。
また、あるとき宴会で「浜村先生と石川先生は先生から見て、どういう方ですか?」と聞かれ、酒の勢いもあり、「あー、浜村さんはドテラを着たヤクザで、石川さんはスーツを着たヤクザだよ!」と答えました。われながら至極名言と気に入っていましたが、後になってそれを聞きつけた石川さんに飲み会の席で若干呂律の回らない声で、「オイ! 栗原―! 俺だってドテラだろうが!」と怒られてしまいました(まあ、どっちみち、お二人とも堅気の枠には収まりきらないお方たちだということに異論はないようでしたがね)。
石川さんはとても日本酒好きで酒が強く、とことん飲んで語る人でした。絶対に弱音を吐かず、弱みさえ見せない人、そして、「目先の利にとらわれず、『正しい』と思ったことはやるべきだ!」といつも言っていました。
今でもあの優しい顔で、それとなく尻を叩かれている気がするものです。
京都大原記念病院
副院長
三橋
尚志
私は協会にかかわるようになってからは継続して研修会の企画・運営を担当していたので、石川さんとは研修会を通じてよくお話をさせていただきました。非常に穏やかなお人柄で、研修会で一緒に全国を回る時はいつも周囲が和気あいあいとしていましたが、石川さんと話をするときに私は常にある種の緊張感を持っていました。叱られた等のトラウマではなく、笑顔の石川さんの中に、常に厳しさを感じていたからだと思います。ご自身に対する厳しさが、言葉ではなくこちらに伝わってくるのです。
石川さんは研修会後の宴席にはほぼ毎回参加してくださいました。通常の研修会は100名規模となりますが、乾杯をして研修委員とひとしきり話をされるとコップ片手に参加者の席を回られます。「どうなの?」「頑張ってる?」などと話しかけながら、時には参加者の悩みを聞き、時にはリハビリテーション・マインドを熱く語られます。とにかく引き出しが広いので参加者の悩みにご自身の経験・実践を踏まえ真摯に回答されます。前向きな回答なので、最終的には参加者に笑顔が浮かびます。そんな場面をいくつも見てきました。偉大な石川さんとまぢかで話ができ、悩みを直接聞いてもらえたあの時間は、研修委員と研修会の参加者、双方にとってかけがえのない財産でした。
医療法人社団 輝生会
理事長補佐
森本
榮
義理と人情に厚い人でした。有名になっても昔と変わることなく先人、同僚、部下…、恩義を受けた方を大切にされ、困りごとには親身に対応。お酒が入ると「俺に任せろ、心配するな」のひと言で、石川組の大親分でした。ただ、引き受けた中には翌日、「森本頼む」とこちらへパスする案件もあり、「もう、勘弁して~」と心で叫んだことも。ただ、その繰り返しのパスが次第に「次は?」と、クセになってもいきましたが。
その人柄を背景に、柔軟な思考力、卓越したコミュニケーションの能力で大勢の人の気持ちを動かしたように思います。患者さん・ご家族、職員、地域の関係者…。初対面の人でも会って話し始めてすぐ、相手の出身・郷里を知るとその地の風土と歴史・郷土の英傑・特産物…と話は縦横無尽に広がって場が一気に和みます。四方山話が落ち着けば正面を向き優しくゆっくり話を聴きながら、相手の思い・意図を正確につかみ、表情や反応に合わせ言葉を丁寧に選んで話を進めます。多くの病院見学者の中には初め輝生会の実践に批判的な方々もいましたが、石川さんが先に立って歩きながら病棟の説明を始めて数十分後、説明が終盤に入る頃にはその多くが強い賛同へと変わっていました。石川さんとの会話を契機に回復期リハビリテーション病棟を開設した方は少なくないと思います。
講演では張りのある通る声で静かに話し始め、ゆっくりと品のある言い回しで聴衆の雰囲気を感じ取りながら徐々に話を盛り上げていきます。
病院で患者さん・ご家族から苦情に近い話が出ると、相手の訴え・言い分をひと通り静かに聴き、こちらの情報を隠さず開示し、間違いは素直に認めて真摯に謝罪する姿勢ももっていました。交際費はほとんど全額自腹でした。石川さんのコミュニケーションの根底には相手を「もてなしたい」気持ちがありました。
医療法人社団輝生会
事務局長
堅田
由美子
石川さんは、非常に多忙なリーダーでした。そのため毎日多くの予定が入っていましたが、それらの管理を人任せにはせず、ご自身で緻密なスケジュール管理、タイムマネジメントを工夫されていました。時間を大切にされる方であったことは間違いありません。
一方で、業務中の佇まいはいつも静かで、忙しさに振り回されている雰囲気はまったくありませんでした。いくつものタスクをこなしながら、部下の相談に丁寧に応じてくださる方でした。
特に印象に残っているのが、話の聴き方です。ご相談がありお席の近くへ行って話しかけますと、いつも「はい。何ですか?」と、石川さんは作業中のパソコン操作の手を止めて、しっかりと体の向きを変え、目を合わせて聴く準備をしてくださいました。そして、話し始めると「うん、うん」と静かに頷きながら聴かれ、話し終えると即断で「はい、それでいいです。任せます」などとおっしゃってくださいました。それで私たちは相談をしたあとはいつも、安心した気持ちになれました。こうした姿勢はどんなに忙しい時期であっても変わりませんでしたし、相手によって態度が変わることもありませんでした。石川さんの話の聴き方、心の寄せ方はいつも温かく公平でした。